cafe chotto視点でおおくりする福井の観光穴場情報や
奥越、永平寺町などの催しのご案内。
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白山神社平泉寺の楽しみ

平泉寺は知られていないようでいて
白洲正子さんの「かくれ里」や
司馬遼太郎さんの「街道をゆく 越前の諸道」で紹介されていたりもして
知っている人は知っています。


平泉寺関連本は、cafe chottoに置いてますので



よろしければ、chottoに立ち寄られてゆっくり目を通されてから
平泉寺行かれるというのもいいかもしれません。








中世の頃は、越前を通った旅人は、せっかくここまで来たなら
平泉寺に寄りたいな〜とそわそわしてしまうような
かなり熱めのスポットだったそうです。
武士にとっては戦勝祈願の思いを馳せる守り神でもあったとどこかで読みました。



精進坂。

こんな苔苔(コケコケ)した滑りやすそうな階段をずっと歩くことになりますので
足元はしっかりめの靴をお履き下さい。

ヒールとか滑りやすい皮靴はいけません。




さあ、鳥居をくぐります!
昔はここに仁王門があったそうです。

振り返るとこんな感じ




あちこちコケコケしてます。


鳥居をくぐるとすぐ左手に社務所があります。



お守りや白山神社史などをもとめることができ、
お庭も拝観できます。

司馬遼太郎さんはこちらの社務所について
「鎌倉時代の武家の館を想像する手がかり」として
吉野蔵王堂の吉水院と並んで挙げていらっしゃいます。

そしてこちらで拝観できるお庭を
「木漏れ日の庭」と仰っています。



社務所の縁台に頭部のないお地蔵様。お賽銭を入れてご挨拶します。
おそらくは廃仏毀釈のときのものだと思うのですがどうでしょう。





室町時代からの古いお庭。旧玄成院庭園。享録元年(1528)細川高国作庭の伝。




細川高国は室町幕府第11代将軍足利義高時代に管領として実権を握った権力者でしたが、
1527年に京を追われて朝倉氏を頼っていますので
福井に来ることもあったのかもしれません。
1528年となると高国44歳の作です。
「絵にうつし 岩をつくりし 海山を のちの世までも 目かれずや見ん」
48歳辞世の句ですが、作庭を愛した人だったことがうかがわれます。

北畠氏館跡庭園(三重県)、興聖寺旧香燐寺庭園(滋賀県)などの作庭も。



蛇足ですが、この高国のおとうさんが細川政元で
小泉八雲の「怪談」の中の、「青柳ものがたり」に登場します。

能登の畠山氏の若者が京にのぼる途中、福井に立ち寄り
仮宿した家の娘を気に入り京に連れていきます。
しかし当時の権力者政元の許可もなく嫁取りしてしまったことにうろたえて
歌をのこして駆け落ちしようとしますが、政元がこの歌に感じ入り
二人の婚姻を許可します。
が、娘は実は柳の精で、木が伐り倒されたときに姿を消した・・という
室町時代の幽玄を感じるお話です。

福井のどこの娘さんということは出てこないのですが

実際の政元は修験道に没頭して子を作らなかったということで(高国は養子)

もしかすると、平泉寺とご縁のあった方なのではないかしらなんて思ってしまいます。







夏椿の大木がありました。
時期を計って行かれるのもいいのではないかと思います。

参道に戻ります。






緑が清々しい参道です。

行く手左にちろっと見える標識

左に行くと御手洗池。
平泉ともいい、平泉寺の名のもとになっているとのこと。


この日は雨のせいか、池がなかなかに神秘的な深緑色を醸していました。



この池の中の影向石に白山の神様が現れたそうです。






雨乞いのお祭りのときはこのご神木に神饌をそなえ
御祈祷して、影向石の下に安置している十一面の神鏡を
本殿に遷座して、池を掃除するんだそうです。

以前、東大寺の二月堂に東西南北四面の鏡を置いてるのを見ましたが・・
十一面の神鏡なんて、すごいですね!
白山の神様が十一面観世音だからでしょうか。




御手洗の清水。



参道に戻ります。



「山王鳥居というのか、日吉神社と同じように、真中が山形になっているのは
山岳信仰を現しているのだろう」と白洲正子さんは書かれています。

鳥居の向こうに、光って見えるのは拝殿です。江戸時代末期のもの。




最盛期の拝殿は間口81m、奥行13mの大きさで
「三十三間拝殿」と呼ばれていました。

たとえば
現在の奈良の大仏殿は、幅が57m
創建当時86mということですので

平泉寺の規模がお分かりいただけると思います。
平泉寺は想像力を広げてゆくところに楽しみがあるのです。








おそらくはこの拝殿前の苔のじゅうたんの上すべてが
往時は拝殿だったのでしょう。


司馬先生は、広い境内全体が冬ぶとんを敷き詰めたようにぶあつい苔で
京都の苔寺の苔など笑止のほどだとか
ぜんたいの色調が唐三彩のようだと
とても褒めてくださっています。








拝殿のうしろの、ちょっと厳しめの階段を上ると本殿があります。




白山の神様に参拝のご挨拶をしましょう。



江戸時代の大変豪壮な建築です。

普通の神社参拝は本殿にお参りして、社務所でお守りを買っておしまいですが
平泉寺はここでおしまいではありませんのでご注意ください。
(たいがいの観光客の方が、ここで帰られてしまうのを拝見します!)





本殿から右にゆくと、三之宮へむかう鳥居があります。
三之宮は安産の神様でもあるそうですので
奥さんが妊娠された方はぜひぜひご参拝ください。

三之宮のお社の下には、楠正成公を弔う石塔もあります。



鳥居の脇に、石が積まれているのは
太平記ファンの方が正成公を偲ばれているのでしょうか。






一向一揆の焼き討ちによるものか
廃仏毀釈のせいか
破損した石仏がところどころ並んで
平泉寺の長い長い歴史を感じます。



三之宮がみえてきました。


本殿からこちらまで、
それほど距離はありません。

このお社の後ろから、白山の頂きへと禅定道が続いてゆきます。





正成公の公墓塔

平泉寺には正成公の甥がいて(恵秀律師)
正成公が亡くなった折に夢を見て建立したのだそうです。


平泉寺の拝殿・本殿は江戸時代の新しいものですが
中世の古いものが7つ残っているんだそうで
この石塔はそのひとつだそうです。


さて、ここで折り返します。



杉木立の中に中世の気分がそのまんま残っているようです。




拝殿脇まで戻りました。

まだ終わりではありません。

ここで左に曲がるとこんな小道が続いています。






境内の散策はここまで。

次は境内の外を巡ります!



に続く!!